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2024年6月21日

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著者名 書名 出版社 出版年
田尻芳樹 『日常という謎を生きる――ウルフ、小津、三島における生と死の感触』 東京大学出版会 2024

【梗概】
 本書は、ヴァージニア・ウルフ、小津安二郎、三島由紀夫を中心に、日常生活および日常の事物の表象が、作家たちの死生観とどう関係しているのかを探究したものである。日常性はつねに非日常性との関係で問題になり、非日常性は個人の人生における大事だけでなく世界大戦やホロコーストも含む。そうしたトラウマ的、破局的出来事の経験が、二十世紀以降の文学や哲学における日常性の主題化の背景にある。しかし、より痛切な問題は、とにかく日々を生きねばならないという生の現実である。なぜか知らぬが私はこの世に存在しており、そのことは、なぜか知らぬが私は毎日の日常を生き、周囲の日常的事物と時空間を共にしているということを意味している。そういう意味で日常も日常的事物も謎だという意識から本書は出発している。
 第一部「日常的事物と映画的知覚」はペアをなす二つの章を収める。第一章ではヴァージニア・ウルフを扱い、『ダロウェイ夫人』、『灯台へ』など彼女の主要な作品における日常的事物への注視が存在論的不安定と相関していることから論を起こし、最終的に、ウルフの世界認識において重要な映画的知覚を明るみに出す。そこで浮上した「人間の不在」、「物への注視」、「反出来事性・反物語性」という互いに絡まり合う三つのモチーフを踏まえながら、第二章は小津安二郎の映画の特徴である単なる事物のショット=「枕ショット」(「人間の不在」、「物への注視」に関わる)について考察し、「反出来事性・反物語性」を通じて彼の映画における日常性の問題に迫る。人間不在の空間への固執という点でウルフと小津はよく似ており、その共通点について深く考えようとした結果が、この二つの章である。
 第二部は「三島由紀夫における日常性の問題」を扱い、このテーマについての概論の後、「スタア」、『鏡子の家』、『美しい星』に一章ずつを割き、現実の転位、戦後の虚無と日常性、核戦争の脅威と日常性という個別の論点に即して論じる。三島こそ日常性の問題を最も深く探究した日本の作家であるから、この部分が本書の目玉となると言ってよい。『美しい星』における核戦争の脅威と日常性の問題は、破局・トラウマ・日常性の関係についてさらに考察する第三部に引き継がれる。同部第一章で論じるベケット劇『勝負の終わり』は『美しい星』と同様、一九六〇年前後の核戦争の脅威という文脈を背景に書かれ、核戦争を題材にする大衆映画との意味深い接点を持つ。同章では核の他、『しあわせな日々』に関してホロコーストのトラウマについても触れる。さらに付論ではベケットと日常性の問題と直結しているように思えるタル・ベーラの映画『ニーチェの馬』を簡潔に論じる。第二章のマキューアン論は、核やホロコーストの代わりに二〇〇一年九月十一日の同時多発テロのトラウマが現代人の日常生活を脅威に晒している様を描く『土曜日』を分析する。この小説はウルフの『ダロウェイ夫人』を下敷きにしているので、最後が最初と結びついて本書の円環は閉じられることになる。
 
【目次】
断想(序に代えて)
第一部 日常的事物と映画的知覚
 第一章 ヴァージニア・ウルフと日常的事物の存在論的知覚
  1 『ダロウェイ夫人』における死の恐怖と事物への一体化
  2 日常的事物の存在の生々しさ
  3 人間不在の空間
  4 映画的知覚
  5 結び
 第二章 小津安二郎における映画的知覚と日常性
  1 「枕ショット」における物の前景化と人間不在
  2  <現実的なもの>/<潜在的なもの>と映画カメラの本性
  3 反出来事性・反物語性と日常性
  4 反出来事性・反物語性と「随筆映画」
  5 結び――再びヴァージニア・ウルフの方へ
第二部 三島由紀夫と日常性の問題
 概論 三島由紀夫における日常的事物
 第一章「スタア」と現実の転位
  1 「現実の転位」
  2 演技と現実
  3 「スタア」における現実と虚構
  4 結び
 第二章 『鏡子の家』論――戦後の虚無と日常性
  1 序
  2 清一郎における日常性の逆説
  3 収、峻吉、夏雄と日常性
  4 日常性から日常的事物へ
  5 結び
 第三章 『美しい星』論――核戦争の脅威と日常性
  1 核と宇宙人――大衆文化史的背景
  2 核と日常性(一)――「水爆と長火バチ」
  3 世界の不統一感の問題(一)
  4 核と日常性(二)
  5 世界の不統一感の問題(二)――論争場面について
  6 結び
第三部 破局・トラウマ・日常性
 第一章 サミュエル・ベケットの演劇における日常生活と破局
  1 『勝負の終わり』と核戦争
  2 『しあわせな日々』とホロコースト
  付論 タル・ベーラ『ニーチェの馬』とベケット
 第二章 イアン・マキューアン『土曜日』における日常性とテロの記憶
  1 マキューアンにおける日常性の描写の特質
  2 『土曜日』における日常と非日常
  3 結び――日常性とトラウマ
あとがき

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