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2023年3月18日

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著者名 書名 出版社 出版年
相田 洋明 編著 『ウィリアム・フォークナーの日本訪問――冷戦と文学のポリティクス』 松籟社 2022


【梗概】
 二〇世紀アメリカ文学を代表する作家ウィリアム・フォークナーは、一九五五年(昭和三〇年)八月一日から二三日まで米国国務省人物交流計画により訪日した。六日から一五日までの長野における「アメリカ文学セミナー」への参加を中心に、東京と京都でも日本の作家・文化人、英米文学研究者、ジャーナリスト、一般市民と対談・インタビューなどを通して交流した。また、USIS(米国大使館文化交換局)によって日本でのフォークナーを描いたドキュメンタリー映画 “Impressions of Japan”(「日本の印象」)が撮影され、翌一九五六年にはフォークナーの日本での対談・インタビューを収録した『長野でのフォークナー』(Faulkner at Nagano)が研究社から出版された。
 本論集は、このウィリアム・フォークナーの日本訪問を敗戦後一〇年、講和後三年の日本文化の状況のなかに位置づけ、フォークナー訪日が戦後日本に与えた影響をはかるとともに、この訪問が作家の晩年のキャリアにおいてどのような意味をもちえたのかを探るものである。
 本論集は三部からなる。
 第一部はフォークナーの日本訪問の実際を論じる。相田論文(第一章)はフォークナーの日本訪問中の行動を一日単位で検討し、さらに『長野でのフォークナー』の分析を試みる。梅垣論文(第二章)は高見順とフォークナーの関わりについて訪日以前にまでさかのぼって探究する。高見はフォークナーと一対一で対談したおそらく唯一の日本人作家である。山本論文(第三章)は記録映画『日本の印象』を同時期に日本で公開されたUSIS映画のなかに位置づけ、アメリカ政府の意図と関連づけながら論じる。山根論文(第四章)は長野セミナーの日本人参加者たちがフォークナーに送った寄せ書きの掛軸(長野市立長野図書館所蔵)を巡って、アメリカの冷戦文化構造そのものを参照しながら考察する。
 第二部は、フォークナー訪日と同時代の日本文化について論じる。森論文(第五章)は日本人の太平洋戦争の記憶・トラウマの物語である『ゴジラ』(一九五四年)とフォークナー訪日の同時期性に注目し、フォークナーのメッセージが日本人に対する「文化療法(カルチュラル・セラピー)」として機能した可能性を指摘する。越智論文(第六章)は戦後日本におけるアメリカ文学研究の制度化にフォークナー訪日が果たした役割について、スタンフォード大学=東京大学アメリカ研究セミナー(一九五〇-五六)や同時期のアメリカ文学研究関連の出版物を広く視野におさめながら考察する。
 第三部は、訪日とフォークナー文学の関わりについて論じる。松原論文(第七章)は「冷戦戦士」としての国民的作家フォークナーと南北戦争での敗北を経験した南部作家フォークナーとの相克を『寓話』(一九五四年)と『館』(一九五九年)を通して分析する。金澤論文(第八章)は訪日をはさんで発表された二つの作品、『墓地への侵入者』(一九四八年)と『町』(一九五七年)を比較し、『町』にはフォークナー作品にはまれな楽観性が見られることを指摘したうえで、この楽観性の背後にはフォークナーが長野で見いだした教育の可能性へ信頼があったと結論づけている。


【目次】
はじめに
第一部 フォークナー訪日の実際
第一章 日本におけるフォークナーの足跡と『長野でのフォークナー』(相田洋明)
第二章 フォークナー訪日と高見順――届かなかった手紙(梅垣昌子)
第三章 映画になったフォークナー――『日本の印象』とUSIS(山本裕子)
第四章 その広大な紙面にて――ウィリアム・フォークナーと文化冷戦の言語アリーナ(山根亮一)
第二部 フォークナー訪日と同時代の日本文化
第五章 太平洋戦争の記憶、『ゴジラ』、そしてフォークナー訪日の意義(森有礼)
第六章 フォークナー訪日と日本におけるアメリカ文学研究の制度化(越智博美)
第三部 訪日とフォークナー文学
第七章 冷戦戦士のもう一つの顔――『寓話』と『館』にみる南部的想像力(松原陽子)
第八章 教育の可能性――長野セミナーと『町』(金澤哲)
あとがき
索引
執筆者紹介

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