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2025年2月22日

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著者名 書名 出版社 出版年
井川ちとせ 『読書会の効用、あるいは本のいろいろな使いみちについて——イングランド中部Tグループの事例を中心に——』 小鳥遊書房 2025年

【梗概】
 ワイングラス片手に本そっちのけでおしゃべりに興じる中産階級の中年女性の集いというステレオタイプとともに、読書会が英米で急激に存在感を増したのは1990年代後半のことである。本書が焦点を合わせるT読書会は、ステレオタイプに合致するかに見えてそれを逸脱し、しかし具体的状況においては発話行為によって白人中産階級女性というカテゴリーを動員し、集合的アイデンティティを積極的に立ち上げもする。本書は、読書会の参与観察と聞き取り調査を通して、協力者がイギリス社会の現実をどのように生き、また想像しているか、さらには誰がイギリス人の典型として表象されるに相応しいと考えているかを、明らかにするものである。
 扱うのは、2014年9月から2024年10月にかけての、読書会を含む種々のイベントの参与観察記録と、個別聞き取りの音声データ、私信、読書会に取り上げられた活字と映像のテクスト、メーリングリストや活動記録、会員がさまざまな媒体に投稿した記事やコメントなどである。この間、イングランド中部および北西部の九つの読書会と三つの学外講座を参与/観察し、74名の一般読者に聞き取り調査をおこなったほか、図書館司書、大学の創作コース講師、書店主、雑誌編集者、慈善団体の職員やその外部評価を担った大学教授に聞き取りを重ねた。それらの記録はおもに、T読書会の事例を相対化すべく参照される。協力者から提供された資料に加え、メディア言説、政府機関や非営利団体の文書、フィクション・ノンフィクションのテクスト、読書会向けの巻末付録を含む〈パラテクスト〉、アダプテーションの解釈を交えて、本書は、アカデミア内外の「本のいろいろな使いみち」に光を当てる。
 なお、本書は、同時刊行の『アカデミアの内と外——英文学史、出版文化、セルフヘルプ——』(小鳥遊書房)の姉妹編であり実践編である。専門化の謂である近代化の過程で、小説は物語の外の世界との照応関係を否定することで、他のジャンルと袂を分かっていくが、現代の一般読者が19世紀のリアリズム小説を好むのは、小説が「リアリスティック」で、読めば百年前の事柄について知ることができると信じるゆえである。だがそもそも今日「文学」と見なされているテクストの作者は、それが芸術的な有機的統一体としてのみ読まれることも、反対にもっぱら現実の世界についての情報を得るための啓発的な娯楽として消費されることも、想定していなかった。小説を学術研究の対象として格上げする試みは、メアリー・プーヴィも述べるように、読むことを、他の高度に専門化された仕事と区別がつかないほど難しい営みにしてしまった。『アカデミアの内と外』においては、別様であり得た英文学史を提示し、出版文化、セルフヘルプ、そしてときにミドルブラウという蔑称でひと絡げにされる独学者や一般読者の実践に着目した。20世紀初頭に英文学が大学の教育課程として制度化される過程で生じた、テクストを読むことの意味の、アカデミア内外における隔たりを架橋すべく、2冊は相補的であることを目指した。

【目次】
はじめに 間欠的調和という希望
序章 研究の背景
 1 読書会と読書会研究の現在
 2 Tグループとは
 3 本書執筆の経緯と調査方法
 4 本書の構成と明らかにすること
第一章 分析的読みとミメーシス的読み
 1 良い議論、悪い議論
 2 『細雪』と『雪国』
 3 『複数の死』をめぐる「良い議論」
 4 物語の終焉?
第二章 新自由主義体制下の文学生産と受容のセラピー的転回?
 1 作者の真実、読者の自己理解
 2 『秘め事』
 3 告白と自己理解
 4 「道徳的選択や倫理的ジレンマ」と自己改善
第三章 チックリット、貧困ポルノ、上昇移動小説
 1 詩学と統計学
 2 チックリットか否か?
 3 『ミー・ビフォア・ユー』——あなたと出会う前のわたし/あなたよりわたしが大事
 4 思案するヒロイン、ソーシャルスキルを学ぶヒーロー
 5 労働者階級の社会移動と脱悪魔化
 6 上昇移動小説のプロパガンダ
 7 「それまでの間」の文学表象
第四章 ミッチ・アルボムの何がいけないのか?
 1 本の好み、教育歴、社会的自信
 2 難解なテクストの難解な解釈は高尚か?
 3 読みづらい本、面白い本、ためになる本、わかりやすい本
 4 フィールグッド産業?
 5 よく練られたリスト
 6 本の儀礼的機能、あるいは読むこと/読まないことという社会行為
 7 わけのわからなさの正体
第五章 ジャンルの創出、テクストの再編
 1 リチャード&ジュディ本、ブッカー賞候補、エアポート・ブック
 2 スイッチを切って正気を保つ
 3 ジャンルというナラティヴ
 4 トラッシュ、ジャンク、ラビッシュ、グッド・バッド・ブック、旅する本(トラベリング・ブック)
 5 キャンディークラッシュ、ユダヤ性、文学受容の脱中心化
 6 ダン・ブラウンの/と旅する本
第六章 「情報を提供せよ、教育せよ、楽しませよ」——BBC的教養主義とノスタルジー
 1 チニュア・アチェべ『崩れゆく絆』の回(二〇一四年九月一六日)
 2 サスナム・サンゲラ『マリッジ・マテリアル』の回(二〇一五年四月一三日)
 3 ナディン・ゴーディマー『バーガーの娘』の回(二〇一五年六月九日)
 4 M・L・ステッドマン『二つの海の間の光』の回(二〇一五年八月一七日)
 5 キャサリン・ベイリー『ブラック・ダイアモンズ』の回(二〇一五年一月一三日)
 6 薔薇戦争、チューダー絶対王政、つねにすでに失われたイングランド
 7 過去への逃避、普遍的価値という欺瞞
 8 「不適切なものを、不適切な理由から、不適切な仕方で」読む
第七章 教育の功罪
 1 デリダ以前/以後
 2 アカデミア内外の方法の類似
 3 テクストの「わけがわかる」
 4 強制の遅効
 5 教師次第?
 6 シラバスという名の押し付け
 7 構造主義の衝撃
 8 ニヒリズム、反知性主義、「伝統的な教育」回帰志向
 9 文学は人生を変えるか
第八章 利他の共同実践
 1 〈福祉の契約主義〉の現場
 2 シェアド・リーディング——読むことの共有
 3 リーディング・エージェンシー——読むことの提供機関/行為主体性
 4 ビーンストーク
 5 耽溺、克己、潜在的利他の効用
 6 セルフヘルプ、ビブリオセラピー、ライフハック
 7 古くて新しい倫理学
終章 懐疑とパラドクスの隘路を縫って
おわりに 寛容と厚意と本への愛
引用文献

初出一覧
索引

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