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2024年5月15日

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著者名 書名 出版社 出版年
原 英一 『カズオ・イシグロ、沈黙の文学』 北烏山編集室 2024

【梗概】
 本書は、A Pale View of Hills(1983)からKlara and the Sun(2021)に至るカズオ・イシグロの全長編8篇を曲亭馬琴の「省筆」をキーワードとして読み解いて、彼の「語らない語り」が「何を語っているのか」を明らかにしようとする試みである。かつて村上春樹は「イシグロにはある種のヴィジョン、マスター・プランがあり、それが彼の作品を形作る——彼が書く新作小説の一つ一つは、このより大きなマクロ・ナラティヴ構築に向けての新たな一歩なのである」と述べた。イシグロの語らない語りが、彼の作品全体が、構築するのは、戦争と強制収容所の世紀、いまだ終わりの見えない「長い20世紀」を埋葬しようとするフロイト/デリダ的「喪の作業」なのである。
 沈黙すること、語らないことは、カズオ・イシグロの文学の大きな特徴である。イギリスの作家であるイシグロだが、その本質部分で、日本的な「沈黙の語り」を内在させている。かつて、マサオ・ミヨシは、Accomplices of Silence(1974)の中で、近代日本小説では、語られる部分よりも語られない部分が、つまり「沈黙」こそが、重要であると述べた。「語らないこと」は、田村隆『省筆論—「書かず」と書くこと—』(2017)が論じたように、日本文学の伝統としては『源氏物語』にまで遡る。「省筆」は、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』(1814-42)中の「稗史七則」とそれを継承した萩原広道『源氏物語評釈』(1854-61)での基本概念である。馬琴は「省筆」の手法として、「偸聞(たちぎき)させて筆を省く」ことを述べているが、イシグロの小説では「偸聞」の語りが頻出する。読者は「信頼できない語り手」の語りを偸聞する過程で、語られていない何ものかとの対峙を迫られていく。
 晩年のジャック・デリダは、『マルクスの亡霊たち—負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル』(1993)と『喪の作業』(2000)の中で、自分より先に物故した二十世紀の知の巨人たち、ロラン・バルト、ポール・ド・マン、ミシェル・フーコー、さらにマルクス主義という巨大な思想を振り返り、反芻することに、フロイト的「喪の作業」を実践することに執念を燃やしていた。イシグロは、知の巨人たちではなく、巨大な歴史の嵐に巻き込まれ、非業の死を迎えなければならなかった幾千万の名もなき死者たちへの、それぞれにごく私的な、しかし、かけがえのない人生の記憶を持った死者たちへの鎮魂歌を、愛惜の念を持って、書き続けている。彼の作品の全体が形成するマクロ・ナラティヴは、喪の物語だったのである。歴史は終わらなかった——「戦争の世紀」、二十世紀は終わらなかったのだから、彼の物語にも終わりはない。

【目次】
序    沈黙の語り
第一章 『幽かなる丘の眺め』『浮世の画家——省筆と偸聞
  Ⅰ イシグロと日本
  Ⅱ 『山の音』と『幽かなる丘の眺め』
  Ⅲ 川辺の亡霊
  Ⅳ 省筆あるいは偸聞
  Ⅴ 私人の罪、公人の罪
第二章 『日の名残り』——可笑しな執事のクウェスト・ロマンス
  Ⅰ イギリス的ユーモア小説
  Ⅱ 可笑しい語り手
  Ⅲ 歴史とロマンスを辿るクウェスト
第三章 『癒やされざる者たち』——ネクロポリスに充満する空虚な饒舌
  Ⅰ 最も楽しめる二十世紀の本
  Ⅱ 時間と空間の歪み
  Ⅲ 不条理コメディ
  Ⅳ マクロ・ナラティヴの中の死者の都
第四章 『わたしたちが孤児だったころ』——失われた楽園への旅
  Ⅰ ぼくたちが子供だったころ
  Ⅱ 虫メガネで悪と戦う名探偵
  Ⅲ 冥府降り
  Ⅳ 沈黙する三人目の孤児
第五章 『わたしを離さないで』——別な歴史、別な人間
  Ⅰ スペキュレイティヴ・フィクション
  Ⅱ 学校小説、ヘイルシャムの記憶
  Ⅲ クローンはなぜ抵抗しないのか、なぜ逃げないのか
  Ⅳ 人文学教育と超越的視座
第六章 『埋葬された巨人』——逆クウェストは終着の浜辺へ
  Ⅰ マジック・リアリズムとパリンプセスト
  Ⅱ 「剣と魔法」と黒澤映画
  Ⅲ トルキーンとイシグロの逆クウェスト
  Ⅳ 終末のヴィジョン
第七章 『クララとお日さま』——語られずも、そこにあるディストピア
  Ⅰ 愛をプログラミングされた子供ロボット
  Ⅱ 信頼できない子供の偸聞の語り
  Ⅲ 近未来のディストピア
  Ⅳ 太陽信仰の勝利
終 章 喪の作業
  参考文献
  あとがき
  索引

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