2025年1月23日
会員著書案内著者名 | 書名 | 出版社 | 出版年 |
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藤本雅樹監修/池末陽子・三宅一平編著 | 『アメリカン・ポエジーの水脈』(龍谷叢書第62号) | 小鳥遊書房 | 2024年 |
https://www.tkns-shobou.co.jp/books/view/678
【梗概】
本書は「詩」、「詩人」、あるいは「詩的想像力」をキーワードに「詩なるもの(ポエジー)」とは何かを探る試論20編を収録したものである。「詩」と「言葉」のコラージュを通して、作家たちの詩的想像力の源泉を辿る。
第一部は、散文作家あるいは劇作家の作品群から、「詩」とは何かを問い、読み解こうとする試みである。第一章ではメルヴィル、第二章ではドライサー、第三章ではヴォネガットの詩について、戦争と民主主義、小説家の人生における詩の立脚点、虚実不明の語りの技法、について考察する。第四章と第五章は「詩人」とは何かを模索する。オニールの「詩人気質」なるものについて、そして昭和の作家阿部知二が見たポーの詩人としての資質について、紹介している。
第二部は詩を通して見えてくる、現実と重なり合う向こう側の風景について、六名の論者それぞれが彩なす世界を描き出している。第六章ではマッカラーズに「アウラ」を感じ、第七章と第八章ではアンダスンの自叙伝やホーソーンの廃墟から作家の心象風景を覗き見る。第九章ではモナーク蝶の飛翔にカーソンのエコロジカルな思想に満ちた世界を夢想し、第十章では、オースター作品のバックランとして滲んで広がるアメリカという国家の翳りの風景に、青い空と緑の葉のコントラストを見出す。第十一章では、いったんメルヴィルに立ち返り、デリーロから逆照射されたバートルビーが「然りでも否でもない中間領域」に死蔵されたポストヒューマンとして蘇えるそぶりを見せる。
第三部は、詩的言語実践の裏側で起こった事件、正義、歴史、科学を検証する。第十二章では、テネシー・ウィリアムズの未完の詩で再現されたレイプ事件の顛末を中心に、正義と慈悲の狭間に垣間見える救済の可能性を読み込む。第十三章は、メルヴィルの中編小説の裏側に発現する歴史に対峙する「償い」としての「詩的想像力の正義」の意味を真正面から問うものである。第十四章はヘンリー・ジェイムズをトランスベラムの作家として位置づけ、南北戦争との関わりにおいてジェイムズの創作活動を再分類しようとする画期的かつ詩的な試みである。第十五章では、心霊主義全盛期の四次元的想像力をめぐる文芸と科学技術の交錯が、ジェイムズ作品の根無し草的ポリティクスとして披露されている。
第四部では詩人たちの視点から「アメリカ」という国が多層的に描き出されている。第十六章は、黒人詩人の描くアメリカと戦争が、南北戦争を背景に浮き彫りにされている点において、第一章および第十四章と響き合う。第十七章は「味読」のための章である。詩人カーヴァーの後期詩篇から、「太平洋岸北西部の陽光」のもとで、「リンガ・リー」という可愛らしい響きに耳を傾けながら、永遠という隠し味の潜んだ至福と贖罪のサンドイッチを味わう瞬間を体験できる。第十八章は、「パストラル」の概念を軸に、一六世紀イングランドの風景が一九五〇年代のアメリカ深南部のそれへとすり替わる。第十九章では、一九五〇年代のサンフランシスコ・ベイ・エリアの喧騒や周囲の自然を背景に、そこに集った詩人たちの群像が鮮やかに蘇る。最終章では、古くて新しい牧歌の唄い手ロバート・フロストの初期詩篇を手がかりに「詩人の原点」を探る。(「編集後記」より)
【目次】
はじめに—詩と言葉についてのコラージュ (藤本 雅樹)
第一部 詩を読む/詩人を読む
第一章 デモクラシーの断片—メルヴィルの『戦争詩篇』を読む(西谷 拓哉)
第二章 ドライサーと詩—ウォバッシュ川のザリガニと聖母マリアの行く末(吉野 成美)
第三章 「疑い」の技巧—カート・ヴォネガット作品における「詩」の不安定性(三宅 一平)
第四章 サイクルのなかの詩人気質のドリーマー—ユージーン・オニールの『詩人気質』をめぐって(貴志 雅之)
第五章 北米の一詩人に魅せられて—阿部知二の卒業論文「詩人エドガー・アラン・ポウについて」(池末 陽子)
第二部 詩的風景の向こう側
第六章 アウラとしての抒情—カーソン・マッカラーズの『結婚式のメンバー』を読む(西山 けい子)
第七章 フィクションとしての自叙伝に秘められた詩的想像力—シャーウッド・アンダスンの『物語作者の物語』一考察(田中 宏明)
第八章 ナサニエル・ホーソーンの庭園、塔、洞窟—『大理石の牧神』における風景論(稲冨 百合子)
第九章 モナーク蝶の飛翔—レイチェル・カーソンのエコロジカルな想像力(浅井 千晶)
第十章 アメリカの翳り(サンセット)と持続する生の可能性—ポール・オースターの『サンセット・パーク』における老い
(内田 有紀)
第十一章 蘇るポストヒューマン・バートルビー—ドン・デリーロの『ボディ・アーティスト』を導きの糸として(渡邉 克昭)
第三部 詩的想像力のポリティクス
第十二章 テネシー・ウィリアムズの詩的想像力—「キックス」と『欲望という名の電車』をめぐって(古木 圭子)
第十三章 弔いなき愛国者の「死」—メルヴィルの『イズレイル・ポッター』における「詩的想像力の正義」(大川 淳)
第十四章 トランスベラム・ヘンリー・ジェイムズ(水野 尚之)
第十五章 四次元の扉を開く—ジェイムズ文学と超空間の交錯(中村 善雄)
第四部 詩人たちのアメリカ
第十六章 詩人と黒人兵士たち—ポール・ロレンス・ダンバーの時代意識(里内 克巳)
第十七章 幸せと贖(あがな)いのサンドイッチ—詩人カーヴァーと『水と水とが出会うところ』(橋本 安央)
第十八章 木陰で歌う詩人たち—ジョニー・B・グッドとは誰なのか(水野 眞理)
第十九章 アメリカ詩のゴールドラッシュ、サンフランシスコ・ベイ・エリア(原 成吉)
第二十章 詩を求めて—ロバート・フロストの初期詩篇を読む(藤本 雅樹)
編集後記—「詩なるもの」(ポエジー)に寄せて(池末 陽子)
索引