2023年7月21日
会員著書案内著者名 | 書名 | 出版社 | 出版年 |
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道家英穂 | 『詩と世界のヴィジョン――イギリス・ロマン主義から現代へ』 | 平凡社 | 2023 |
【梗概】
本書は、ロマン主義時代の世界観の変化が、詩のテクストにどのように現われているかワーズワスを中心に論じ、それが現代詩人にどう受けとめられたか、エリオットとマクニースを取り上げて検証したものである。
「はじめに」で全体の見取り図を示したあと、第一章では、ラスキンとアウエルバッハを手がかりに、『神曲』と『序曲』の風景を比較した。『神曲』では明確に見ることが重視されるのに対し、『序曲』では霧・雨・夜等の自然現象の背後に永遠なるものが暗示されるとした。
第二章では、『序曲』の特徴(神話上の楽園の否定と現実の自然の肯定、地動説的世界観、超越的な存在を自然の背後や人間の心の奥底に求めること)が『失楽園』への引喩(アリュージョン)に浮彫りにされていることを例証した。
第三章では、サウジーの『タラバ、悪を滅ぼす者』をファンタジーの先駆的作品として再評価し、その創作原理にコウルリッジの「不信の中断」があるとした。また文学のヴンダーカンマー(驚異の陳列室)とも言うべき、この作品の夥しい自注の役割について考察した。
第四章では、「クブラ・カーン」をその材源と目される諸作品と比較し、この作品がキリスト教神話に基づく世界観が失われた時代の産物であることを明らかにした。また断片の寄せ集めからなるこの詩は、従来解釈されてきたように永遠のヴィジョンを暗示するのではなく、むしろ永遠のヴィジョンを示そうとする試みは徒労に終ることを表わしているとした。
第五章では、『序曲』第八巻「ジェホールの庭園」にある「クブラ・カーン」への引喩から、ワーズワスが「クブラ・カーン」の風景の人工性を批判的にとらえ、「自然」を称揚していること、しかしその「自然」には詩人の精神が積極的に関与していることを指摘した。
第六章では、キーツの想像力観を論じた。「プシュケーによせるオード」では、神話に取材しながら、詩人の心・想像力が称えられ、意外にもキーツがワーズワスに近い芸術観をもっていたことを指摘した。また「ギリシア壺のオード」末尾にある美と真の一体性を主張する一節の背後に、ヒューマニストとしてのキーツの逡巡が垣間見えるとした。
第七章では、回想の世界に拠り所を求めたワーズワスの限界を、エリオットが『四つの四重奏』でキリスト教の終末論に立ち返ることで乗り越えようとしたこと、しかしドイツ軍のロンドン空爆に浄罪の火を重ねるという誤った終末観に陥っていることを指摘した。
第八章では、マクニースのロマン派への言及から、彼がイデア的なもの、過度の自己憐憫、プロパガンダ、預言者的詩人像に否定的であったことが分かること、しかしながら『秋の日記』においては迫り来る第二次世界大戦を背景に、その語りが次第にプロパガンダ性を帯び、預言者の語りに変貌すること、また現代的に洗練されているが自己憐憫の表出が見られることを述べた。
終章では補足として、エリオットとマクニースの戦争観の違いと、詩作上の影響関係を述べた。
【目次】
はじめに
第一章 彼岸の世界をどう描くか――ダンテとワーズワス
第二章 『序曲』における『失楽園』の変容
第三章 ロマン主義とエンターテインメント――ロバート・サウジー『タラバ、悪を滅ぼす者』をめぐって
第四章 「クブラ・カーン」における楽園のイメージ
第五章 ワーズワスの「クブラ・カーン」批判と「自然への敬虔の念」
第六章 古代ギリシアへの憧憬――キーツと想像力
第七章 時間についての探求物語(ルビ:クエスト・ロマンス)――ワーズワスとエリオット
第八章 ロマン主義へのアンビヴァレントなまなざし――ルイ・マクニースの詩と詩論
終章 戦争へのスタンス――T・S・エリオットとマクニース
あとがき
補遺
ワーズワス 1 ジェホールの庭園 『序曲』第8巻
2 霊魂不滅のオード
3 水仙
4 虹
コウルリッジ 5 クブラ・カーン
キーツ 6 プシュケーによせるオード
7 ギリシア壺のオード
8 非情の美女
9 ナイチンゲールに寄せるオード
10 秋によせる
T・S・エリオット 11 真冬の春「リトル・ギディング」第1部
12 リトル・ギディング第5部
ブレイク 13 虎
シェリー 14 西風へのオード
バイロン 15 だからもうさまよい出るのはやめよう
マクニース 16 かげろう
17 ブラザー・ファイアー
18 スロー・ムーヴメント(ゆっくりとした楽章・律動)
注
参考文献
索引