cover art

2024年7月8日

会員著書案内
著者名 書名 出版社 出版年
麻生享志 『ポストモダンの語りかた——一九六〇年代アメリカ文学を読む』 小鳥遊書房 2024

【梗概】
 本書は、一九六〇年代に登場したポストモダニズム文学の代表的作家を中心に、その語りの特徴を明らかにするものである。対象はジョン・バース、トマス・ピンチョン、ドナルド・バーセルミ、ロバート・クーヴァー、アーシュラ・ル=グィンらのアメリカ作家と、南米マジック・リアリズムの創始者ホルヘ・ルイス・ボルヘス、実験的かつユーモアに富んだ作品で知られるイタリア人作家イタロ・カルヴィーノとなる。
 これらの作家に共通するのは、斬新なまでの革新性と実験性であり、ロマン派以降の文学を十二分に意識した語りの手法である。また、一九六〇年代といえば、哲学ではジャック・デリダ、歴史ではミッシェル・フーコー、精神分析ではジャック・ラカンといったフランス発のポスト構造主義の知識人が相次いで注目を浴びた時代だった。アメリカでは公民権運動を皮切りに、フリースピーチ運動、女性解放運動、反戦運動と次々に若い世代を中心とする社会運動が起きた。そのキーワードは「解放」と「改革」。一九六〇年代を席巻した作家は、この空気を物語の語りに反映させた。本書では、上記七人の作家が示す語りへのこだわりと語りを通じての既存文学からの解放と改革、そして挑戦を詳細に分析する。
 もっともポストモダニズム文学がこの革新性を売り物にしたのは、一九六〇年代から一九七〇年代中盤にかけてのこと。一九八〇年代に入ると社会は一変し、元ハリウッド俳優だったアメリカ大統領ロナルド・レーガンの誕生と、マリリン・モンローの再来といわれたポップアイドル、マドンナの登場は、華やかな時代の到来を告げた。そのキーワードは「消費」と「爛熟」。物質主義に根ざした消費社会とその文化は極みに達する。
 同時に、ポストモダニズムがバースらによって主流文化にのし上げられたのも一九八〇年代のことだった。しかし、時代の流れはすでに別のところにあったのも事実。ここに見られる現象と認識のタイムラグをどのように理解すべきなのか。ポストモダニズムとは言うものの、一九六〇年代の革新性に満ちた文学と、一九八〇年代以降の大量消費社会に支えられた文学は識別されるべきではないのかという疑問が当然湧いてくる。その違いは一九二〇年代のモダニズムと一九六〇年代のポストモダニズムの差異にも匹敵する。それにもかかわらず、一方は違う名称で呼ばれ、他方は同じ用語で一括りにされるのはなぜなのか。
 こうした疑問からはじまった本書だが、紙面の都合から本書では、一九六〇年代の革新性に満ちたポストモダニズムを初期ポストモダニズムと呼び、その時代に書かれた短編を中心に、文学作品の根幹ともいえる語りに視点を向けて分析することになった。一九八〇年代に異なる展開を見せる後期ポストモダニズムの文学については、いずれ続編にて論じたい。

【目次】
はじめに ポストモダンとアメリカ文学
序章 語りの実験場——ポストモダンを語るには
第一章 語りの枠組——ジョン・バース『びっくりハウスの迷子』(1968)
第二章 語りを削ぎ落とす——ドナルド・バーセルミ「センテンス」(1970)
第三章 集団的語りと語りの循環——ドナルド・バーセルミ『雪白姫』(1967)
第四章 半死の語り手——ロバート・クーヴァー「歩行者事故」(1969)
第五章 記憶と語り——ホルヘ・ルイス・ボルヘス「記憶の人フネス」(1942)
第六章 語りのΔt——イタロ・カルヴィーノ「ティ・ゼロ」(1967)
第七章 語りの終焉?——トマス・ピンチョン「エントロピー」(1960)
第八章 AIは語る——アーシュラ・K・ル=グィン『闇の左手』(1969)
おわりに レイモンド・フェダマンが語るポストモダンの語り
付録 ポストモダンの諸相

トップページに戻る