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著者名 書名 出版社 出版年
安河内英光・田部井孝次 編著 『ホワイトネスとアメリカ文学』 開文社出版 2016年

【梗概】
 ホワイトネス研究の本格的始動は、1980年代のアメリカにさかのぼる。90年代における、デイヴィッド・R・ローディガー『アメリカにおける白人意識の構築』(1991)、トニ・モリスン『白さと想像力』(1992)、ヴァレリー・バブ『見えるホワイトネス』(1998)などの数多くの研究書の出版以前に、そもそもホワイトネス研究の勃興は、1980年代からの文化戦争と密接な関係にあった。文化戦争においては、白人中心主義者が信奉する、アングロサクソンを中心とする白人と近代啓蒙思想がアメリカの文化と社会の根幹を支えてきたという神話に、多文化主義の立場から数多くの問い―白人とは何か、白人の白さとは何か、そして、その白人は非白人といかなる関係を持ち、非白人はいかに取り扱われ、さらに、啓蒙思想は近代世界をいかに作ったのか―が提示された。これらの問いがホワイトネス研究へと結実していったのである。
  福岡アメリカ小説研究会を母体として出版された本書は、ホワイトネスの問題が、19世紀から20世紀の代表的なアメリカ人作家たちによっていかに理解され、表現されたかを通時的な面から考察したものである。A・J・ロペスが、ホワイトネスとは現代世界における「物言わぬ規範」であると指摘するように、従来、白人〈ホワイトネス〉は中心(主体)から非白人〈非ホワイトネス〉を客体(他者)として見るという特権的視座を有してきた。本書に収められた各論文の執筆に際しては、この特権的視座を逆転させ、従来不可視とされてきたホワイトネスを可視化し、その実態を精査するという観点から作家ないしは作品を考察することを執筆者の共通認識とした。さらに、ホワイトネスの問題を生み出した西洋近代の理念の功罪も併せて検証することも射程に入れた。
 冒頭の安河内論文「アメリカの文化戦争からホワイトネス研究へ―近代の闇」は、アメリカ社会においてホワイトネスとは何かという問いが焦点化されていった状況を描き、論集全体の見取り図としての役目も果たす。続いて取り上げられる作家はマーク・トウェイン、アーネスト・ヘミングウェイ、F. スコット・フィッツジェラルド、フランシス・エレン・ワトキンス・ハーパー、ジェイムズ・ボールドウィン、アーサー・ミラー、トニ・モリスンらであり、ハーパーを除けばキャノンの作家といわれる作家たちばかりであるが、本書で取り上げたいずれの作品においても、白人は非白人の視点にさらされていることが明らかとなる。だが、それらは単に逆転した視点の問題にとどまらず、作家たちが人種間の問題を通して、人種や民族の境界を越えた人間としての在り方や生き方を問うという問題設定をしていることがわかる。
 時代、地域性、社会階級など様々な視座から照射しうるホワイトネスの問題は、アメリカ文学を論じるうえで、今後さらに重要になっていくであろう。本書が国内のアメリカ文学の分野におけるホワイトネス研究の先陣を切る役目を果たすことを願う。


【目次】
序文
 安河内英光
アメリカの文化戦争からホワイトネス研究へ──近代の闇
 安河内英光
トニ・モリスン『ビラヴド』──所有する「者」とされる「物」
 銅堂恵美子
アーネスト・ヘミングウェイの『エデンの園』における「白さ」の問題
  ──キャサリン・ボーンの人種に関する強迫観念とヘミングウェイの「白さ」への不安
 内田 水生
ダーク・ラヴァー、ホワイト・ガール──『夜はやさし』における人種と性
 高橋美知子
アメリカの中のイタリアが生み出す悲劇──『橋からの眺め』における白さと男らしさのゆらぎ
 岡裏 浩美
人種認識の経由地としての南部──ジェイムズ・ボールドウィンの『もう一つの国 』
 永尾 悟
経験がものを言う──フランシス・E・W・ハーパーの『アイオラ・リロイ』とプラグマティズム
 藤野 功一
白から赤へ──マーク・トウェインとアメリカ・インディアン
 田部井孝次
あとがき
 田部井孝次
執筆者一覧
索引

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