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著者名 書名 出版社 出版年
細川眞 Harold Pinter and the Self: Modern Double Awareness and Disguise in the Shadow of Shakespeare 渓水社 2016

【梗概】
 本書は、ハロルド・ピンターの10作品における「自己」の表象を、「近代の二重認識」とシェイクスピアを背景とした「ディスガイズ」の視座から論じたものである。ピンター特有の謎めいた登場人物とその世界の実態が、「古い二重認識」時代のシェイクスピアとも関連させながらイギリス文学・文化の伝統の中で論考されている。

第1章:『バースディ・パーティ』は、「本質」のリアリズム、「不定」のモダニズムの表象モードとディスガイズ・モチーフから、「自己」対「外的力」のテーマが展開されている。二人の侵入者によって拉致される主人公スタンリーの「自己」と運命の曖昧性を検証する。

第2章:AのアイデンティティがBのそれに変貌するディスガイズは,16世紀末まではルネサンス的人間像の「統一した多様性」を表象し、その後19世紀までは外見の虚に反して人の本質の不変性を表象した。『管理人』デイヴィスのそれは虚か実か、不可解な彼における「自己」を論考した。

第3章:X線の発見以来、世界はニュートン的リアリズムと虚構性の二重認識で見られるようになったが、ピンターの劇作品における「自己」の多様性と統一意識はこれを反映している。『コレクション』と『恋人』から検証する。

第4章:伝統的リアリズムとX線的なそれを背景に、『帰郷』における「自己」を検証する。ルースは、シェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』のケイトの影響を受けて偽装し、統一のない多様な自己を展開する。

第5章:生成と時間思考の<新しい近代性>と「二重の認識」の世界観を背景に,『誰もいない国』において「ダブル」であるスプーナーとハーストは、その実存的時代精神の創造的即興性と麻痺的虚無性を展開し,最後に後者は前者を吸収して「自己」の統一はない多様性を見せる。

第6章:『灰から灰へ』においてナチ犠牲者へのリベッカの変貌は、ヒューマニスト演劇の変装に似ていて、私的なアイデンティティと共同体のそれとを融合する。多様で断片的だったアイデンティティは、最後に虐殺の犠牲者のそれと重なりポストモダニズムを超越する。

第7章:ピンターの後期3作品、『景気づけに一杯』、『パーティの時間』、『祝宴』に窺える権力の不可視性を、シェイクスピアや啓蒙時代に由来する権力あるいは支配者(及びその主体)の様態の変遷から捉え、作品に散見されるポストモダン時代の権力、その行為者の主体性の実態を論考する。

【目次】
Acknowledgements
Introduction
1. Stanley's Ambiguous Self and Destiny: From the Modes of Representation and the Disguise Motif in The Birthday Party
2. Davies's Disguise in The Caretaker:From the Views of Modernist Negation and the Tradition of Disguise
3. Double Awareness and the Self in The Collection and The Lover
4. Unity and Division of the Self in The Homecoming:Against Two Kinds of Realism
5. The "New" Modernity and Doubles in No Man's Land
6. The Meaning of Rebecca's Disguise as a Dispossessed Mother in Ashes to Ashes
7. One for the Road, Party Time, Celebration and Power's Invisibility: From Shakespearian Disguise to Postmodern Subject
Works Cited
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