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著者名 書名 出版社 出版年
福永信哲 『ジョージ・エリオットの後期小説を読む――キリスト教と科学の葛藤――』 英宝社 2016

【梗概】
 本書は、ジョージ・エリオット(George Eliot 1819-80)の後期小説たる『急進主義者フィーリクス・ホルト』(Felix Holt, the Radical 1866)、『ミドルマーチ』(Middlemarch 1871-72)、『ダニエル・デロンダ』(Daniel Deronda 1876)に焦点を当てて、作品の言説を原語に即して分析・解釈したものである。

 第一に、エリオット小説の文体には意味の多層的なこだまが響いている。情景描写であれ性格描写であれ、具体的な文脈の中で言葉が共鳴しあって、意味の奥行が広がっている。とりわけ、人物の内面描写には体験と記憶が産み出す深い情緒が宿っている。ものを見ることにおいて自己中心性を免れない人間には、近視眼の結果として苦しみが待ち受けている。ところが、試練の代償として、贖いが用意されている。そして、作家の贖いの見方は、神の罰としてではなく、自然の道理として訪れる働きである。これが働く時、人は苦しみを糧に成熟への道を歩むことができる。罪と贖いのプロセスで人が体験する人生の苦しみと悲しみに対する共感の深まりは、エリオット小説の際立った特徴である。

 偉大な芸術作品は、読者の精神的器量に従って姿を表す。その理由は、作品が生の複雑・多様な現実を多彩な視点から描いているからである。エリオット小説においては、文体そのものが科学的な明晰性と、ロマン派的な生の直観的な把握の間を揺れ動いている。道理の働きを辛抱強く検証するアプローチと、人間精神の曖昧領域を暗示的に手探りするアプローチがせめぎ合っている。エリオットの後期小説には、芸術的曖昧さと、科学の方法と用語の葛藤が、中期までの小説にも増して深まっている。それ故、読者は、解釈という行為に参入することを求められる。作品の構造と言説そのものが読者の解釈可能な曖昧領域を残しているからである。読者の精神的器量が試されるのは、この文体的特徴による。

 第二に、エリオットは、登場人物を歴史的文脈に置いて、時の流れの中で変化していく人間の生きざまを、変化のプロセスのままに捉えるヴィジョンを持っている。人は過去を背負って、他者と関わって生きている。過去は人の現在を形作る生きた力である。エリオットの時間感覚は、人が生まれて、束の間の生をまっとうして去ってゆく無常の背後に、地球的時間の悠久の営みを見ている。これは、彼女が「伴侶」ジョージ・ヘンリー・ルイス(George Henry Lewes 1817-78)と共同研究を重ねて得た自然科学的知見の反映である。自然史の見方は、人間の暮らしのみでなく、精神生活にも自然法則が生きていると見る。この視座から見ると、人間の道徳的価値に超歴史的な善悪の基準はなく、あるのはただ価値に中立な自然法則があるのみである。エリオットの作家としての歩みは、少女期から思春期に親しんだ福音主義信仰で培ったキリスト教的善悪の基準を、自然史の道理の眼で洗い直す歩みであった。これをテキストの言語事実から明らかにすることも本書の目的である。

【目次】
まえがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ iii
序章 人間ジョージ・エリオットとその時代・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
1 福音主義とジョージ・エリオット・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
2 農村イングランドへのノスタルジア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
3 子どもの眼・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
4 福音主義からの脱皮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
5 「R. W. マッカイ『知性の進歩』」の意味・・・・・・・・・・・・・・・・・25
6 聖書の歴史的展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 30
7 父の死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40
8 ロンドンでの文芸活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
9 産婆兼黒子ルイス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 44
10 非合法の事実婚がもたらした遺産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 52
11 小説創作の跳躍台としての文芸批評・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 58
12 ヘレニズムとヘブライズム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 67
13 『ウエストミンスター・リビュー』と倫理的ヒューマニズム・・・・・・・・ 69
14 エリオットの小説と福音主義の遺産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85
15 聖書解釈の視座の見直し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87
16 作家の心の基層としての聖書・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90

第 I 章 『急進主義者フィーリクス・ホルト』を読む・・・・・・・・・・・・・94
1 『急進主義者フィーリクス・ホルト』にみるダーウィニズムの言説・・・・・・ 94
2 『急進主義者フィーリクス・ホルト』にみる意味の探究
―性格描写にみるテキスト解読の奥行―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112
3 『急進主義者フィーリクス・ホルト』にみるライアン牧師の人間像
―エリオットの救済観を探る―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 134

第 II 章 『ミドルマーチ』を読む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154
1 『ミドルマーチ』に見る意味探求のプロセス・・・・・・・・・・・・・・・・ 154
2 ドロシアの夫カソーボン師にみるエリオットのロマン派的想像力・・・・・・・ 176
3 『ミドルマーチ』にみる死生観―ドロシア・カソーボンの結婚生活と死別―・・ 187
4 『ミドルマーチ』にみる科学の受容と懐疑
―医師リドゲートのテキストを読む―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 201
5 『ミドルマーチ』に見る宗教的偽善と意味の探究
―バルストロードのテキストを読む―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 228
6 『ミドルマーチ』に見る否定表現
―ジェーン・オースティン『エマ』と比較して―・・・・・・・・・・・・・・・ 241

第 III 章 『ダニエル・デロンダ』を読む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・271
1 『ダニエル・デロンダ』グウェンドレン物語
―キリスト教の遺産と科学の和解― ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 271
2 『ダニエル・デロンダ』に見る解体と再建の試み
―ユダヤ人物語にみるエリオットのヴィジョン―・・・・・・・・・・・・・・・・・ 290
3 『ダニエル・デロンダ』に見る解体と再建の試み
―ユダヤ人物語にみるエリオットのヴィジョン―・・・・・・・・・・・・・・・・・307
4 ダニエル・デロンダ―隠されたアイデンティティの探求―・・・・・・・・・・ 317

終 章 倫理的人道主義とその遺産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・340
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・352
初出一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・355
文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・357
索引・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・368

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